ブライアン・ウィルソン来日公演

世界初のコンセプト・アルバムとして今でもその価値を失わないザ・ビーチ・ボーイズThe Beach Boysのペット・サウンズPet Soundsのリリースから50周年記念となるブライアン・ウィルソン(1942~)の来日コンサートに行った。

ブライアンは父マレー・ウィルソンMurray Wilson (1918~1973)は作曲家、母オードリーAudree(1917~1990)もピアノを弾くという音楽一家に育ったが、ドラッグやなんかで20年以上も落ちていた時代から「奇跡的によみがえった」1988年のソロアルバム「ブライアン・ウィルソン」の後に出した自伝Wouldn’t Be Nice(1991)で、父親に家庭内暴力を受けていた事実を明かしている。Wkiによればブライアンは父親に角材で頭を殴られ、以来右耳聞こえなくなったとされている。また、この父から長男ブライアンに宛てた1965年5月の手紙の草稿?が5年ほど前に発見されたことから、ペット・サウンズの制作に一人でとりかかろうとしていたブライアンの内面がどのようになっていたか、研究が進むことになった。「お母さんがお前たち3兄弟を女の子のようにベタベタの愛情でスポイルした結果だが、お前たちのような犯罪者でろくでなしは少しくらい有名になったとしても地獄に落ちるぞ、グループは解散しろこれが父として至った結論だ」という厳しい内容。フロイト的精神分析アプローチでは面白い題材だろうけど、今回は割愛します。

で、この親のもとブライアンはカリフォルニア州ホーソーンに生まれた。ホーソーンってロサンゼルス国際空港に隣接しているといっていい町。空港から出て東西を走る105号とサンディエゴ・フリーウェイ405のジャンクション(空港からせいぜい5キロ)の南東に位置していて、交通至便のところ。

ホーソーンにはスペースXの本社とテスラ・モーターズの設計部門があるね。ノースロップ(現ノースロップ・グラマン)の工場もある町だからその伝統・技術が生きているんだろう。ステルス爆撃機のB-2はノースロップ・グラマンの製造。1機2000億円かかる。当然世界一高価な飛行機だって。先月「アメリカ戦略軍がアジア・太平洋にB-2を3機配備して北朝鮮を牽制する」というニュースがあったね。ホーソーンにはマリリン・モンローが8歳くらいまで過ごした家もある。IAMNOTASTALKERというウェブ(映画のロケサイトなどを取材するサイトのようだね。サイトネームが「私はストーカーではありません」というのが笑える)に、モンローの子供時代の家が紹介されている。というわけでホーソーンが世界に誇るいくつかのエピソードがある町だということがわかった。

2人の弟デニス、カールと従兄マイク・ラブ、そしてブライアンの高校の友人アル・ジャーディンとビーチ・ボーイズを結成、1964年ころまでにサーフィンとホットロッドを題材にしたロックでブリティッシュ・インベージョン前のアメリカのポピュラー音楽を代表するグループになった。ブリティッシュ・インベージョンというのは、1964年2月のビートルズを先兵にローリング・ストーンズ、アニマルズなどによる英国ロックがアメリカのトップヒットを独占する状況となったため「イギリスの侵略」と言われる。1980年代前半にもデュラン・デュランなどでもう一度ブリティッシュ・インベージョンがあったね。こうした英国勢の活躍に刺激され、プレッシャーも受け(ブライアン自身がビートルズのラバー・ソウル(1965年12月リリース)に刺激されてこれはイカンとして作ったと再発時のライナーノーツに記している)、コンサート活動をやめて乾坤一擲音楽制作に打ち込んで作ったのが「ペット・サウンズ」だったわけだ。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」(1967年6月リリース)に先立つ1年前。1曲1曲がメンバーそれぞれの手による曲、他人の曲のカバーだったりの寄せ集めだった従来のLPからLPレコード1枚がコアの作者によって一つのテーマなりストーリーで統一感のあるものになった、これを「コンセプト・アルバム」と呼ぶようになったけれど、今でも最高のコンセプト・アルバムの1枚になっている「サージェント・ペパーズ」よりも前にブライアンが実質一人でやっちまったわけだ。

で、今回の公演は、ブライアンが一人で作りあげた「ペット・サウンズの世界」を50周年の今、73歳のブライアンが日本の皆さまにお届けします、その前座と最後にはホットロッドミュージック、ビーチ・ボーイズのサーフロックメドレーを、ということで、東京フォーラムは一応満員になったし(大阪公演のチケットは完売ではなかったからね、懐の深い東京市場ならではだったといえるかな)、アラカンのぼくより下の世代もオールスタンディングで踊れる時間を持った。良くなかったということはなかった。決して。

でも真ん中にキーボードの前に座って、衰えは仕方がない声でGod Only Knows (LPではB面1曲目)を歌うブライアンに、アーチストとしてのブライアンへのリスペクトを持ったし、彼のドラッグやもろもろの変人扱いされる行動なども含めて「過ぎ去ったアメリカ」への遠い歴史感とを、深く感じることはできた。だってもう生では接することはできないかもしれないんだもの。

前座と最後のサーフロック極め付け部分で、マット・ジャーディンのファルセットがうまい、ほかのミュージシャンがそれぞれ技量を発揮した、そんなことは付け足しだよね。人間は有限な存在です。1ファンとして楽しんだ。

このアルバムのライナーノーツに、ブライアンはこうも記している。「リスナーが聴いて、愛されているという感じを受けるサウンド、これを実験したんだ」確かに。サーファー・ガール(1963年9月リリースの同名アルバム、1曲目)の天国にいるようなハーモニー感は不滅だよね。ぼく的にはYour Summer Dreamが一押しです。同じアルバムの最後手前の曲。

 

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