小川隆夫著「証言で綴る日本のジャズ2」    ショーティ川桐さんに感服!

小川さんの証言シリーズの続編が出たので買って読んだ。本編で聞き足りなかったところを補足した部分(ナベサダや評論家の瀬川昌久さんなど)と本編で取り上げたかった方だけれど、その時点では「消息不明」だった人などを丹念にインタビューした、本編同様に貴重な記録。

ぼくにとっての今回の収穫というか気づきは、なんといってもショーティ川桐(本名:川桐徹)さん。昭和4年生まれで、偶然だがぼくの父親と同い年。1952(昭和27)年4月から55(昭和30)年8月まで、現在の有楽町東京交通会館の土地の一角にあったジャズ喫茶「コンボ」のオーナーだった人だ。当時イースト・コースト(米国東海岸)派のジャズはコンボで、一方の「クール派」のウェスト・コースト(米国西海岸)・ジャズは新橋の「オニックス」でよくかかっていた。イースト・コースト派のビバップ(チャーリー・パーカー、バド・パウエルなど)に傾倒していた守安祥一郎、秋吉敏子、渡辺貞夫や後のクレージー・キャッツのハナ肇が常連だったこと。ハナ肇がこうした常連に呼びかけて、横浜のジャズ・クラブ「モカンボ」でレコーディング・セッションを決行したこと。それが1954年7月という段階での日本の若いジャズ・ミュージシャンたちの極めて高い演奏水準の記録となったこと。「ショーティさんがパウエル好き、というんで守安さんや秋吉さんが(コンボに)来たんでしょうね。(中略)コンボがなかったらその後の日本のジャズはこんなふうにならなかったかもしれません」(本書453ページ、以下同じ。)というのもそのとおりだろう。まだまだレコードは高い時代(10インチLPが出始めたころ。1枚3,500円の価格は大卒初任給の半分くらい。)、ジャズ喫茶が、かつコンボだけが「最新のジャズを聴ける唯一の場所」となっていたのだから。(渡辺貞夫<パート3>、363)

米国のシリコンバレーはマイクロソフト、アップル、グーグルなど破壊的な技術革新をバネに次々と世界的な企業を生み出している。それは、シリコンバレーが人と人とが出会いアイディアを交換し新しいものを作ることができる、そうした「ふれあいの場」となっているからである。同じように、コンボもアメリカの「最先端」のビバップの音を求める若い日本人ミュージシャンのふれあいの場を提供し、日本の新しいジャズのインキュベーターとなったということではないだろうか。

16歳のときに加古川航空通信隊の少年飛行兵として「偵察機に乗って上空で、B29がどの方面から何機来ている、と確認しすぐに打電して逃げる」仕事をしていたショーティさん。8月15日の終戦のラジオ放送も、雑音でほとんど聞こえない中、隊長は「いまの天皇陛下のお言葉は「今度はソ連と戦うことになった。だからもっと奮励努力するように、と言われた」とされ、終戦になったことがわからなかった。負けたということがわかったのは翌日になってからで、その段階でもこの隊長は「天皇陛下に申訳がないからみんな刀で自決しろ」と命令。ここでショーティさんは「こりゃ、まずい。負けちゃったし、戦争も終わったんだからいまごろ腹を切ってもどうしようもない。そんなのにつき合っていられない」と考えて、加古川の駅まで行って貨車に乗り、熊本の実家に「逃げる」行動に出る。

ショーティさんの話で感服した点。

  • 自分の頭で考えて決断し、行動する。

日々物事に対面し、事実に向き合い(戦争には負けた。「隊長の言うことにつき合って」自分が腹を切っても事態が変わるものでもない)、逃亡を決断実行している。これができるためには、ショーティさんには普段から冷静な観察眼をもって自分の仕事と組織を見ていたということだろう。16歳で、だ。本能的な部分もあるにせよ、素晴らしい。

  • 過去にとらわれないこと。これは上記「自分の頭で考える」ことの延長である。

コンボを3年半ほどでクローズし、その後「リーダーズ・ダイジェスト」や外資系の銀行など音楽とは全く異なる業種で活躍した。「お名前はいろんな人の口から出てくるけど、誰も「コンボ」をやめたあとのショーティさんがどうしているのか知らない」(454ページ)状態になっていたところ、著者は何とかショーティさんの弟さんを探し当ててインタビューに成功する。その喜びと日本ジャズ界への貢献についての讃嘆に対しても「違う世界にいましたからねえ。誰もジャズ関係者は訪ねて来なかったですし、わたしのことを知っているひともいなかったでしょうし」と答えている。これも素晴らしい。頓着がない。

たまたま、横尾忠則さんの記事「日本は芸術の「社会的役割」を理解していない」(東洋経済)を見た。「無頓着であることは気まま、わがままに通ずる。他人から好かれるか嫌われるかといえば、嫌われるほうが多い。自己中心的に見えるからだ。思いの丈を自分の絵に塗り込める。その絵は、描き終えたら僕から離れて独り歩きする。そのとき、絵は社会性を持ち、社会的な発言をする。」ショーティさんのコンボも、独り歩きして、社会性を持って発言していたわけだ。

「小川隆夫著「証言で綴る日本のジャズ2」    ショーティ川桐さんに感服!」への2件のフィードバック

  1. シヨーテイについて沢山書いて頂きありがとうございました。
    先日葬儀を済ませました。その折にこの原稿をコピーして棺の中に入れさせて頂きました。
    感謝致しております。私は
    シヨーテイの弟です。

    1. 川桐さま
      ご丁寧にありがとうございます。ショーティさんが安らかにご永眠されますよう心からお祈りいたします。

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