一ノ関ベイシー               スイフティ菅原さん

カウント・ベイシーにからんだ話になったから、ベイシーとくれば・・・それはもう・・・ジャズ喫茶とオーディオの世界では神殿級になった一ノ関のベイシー。もう10年くらい前に、ぼくは別に「お参り」するようなポジションにもないから単にふらっと田舎に行く際に立ち寄ったわけだけど、たまたま3人の「お参り」していたおじいさんたちが帰っていって、客はぼくだけになったので、素人風にビル・エバンスのワルツ・フォー・デビーをリクエストしたら快くかけてくださって、JBLの能率100デシベルの2220BウーファーなどのシステムでフルA面を堪能し、ぽつりぽつりとお話しをしていたら、スイフティ菅原さんの実家がぼくの実家の隣町で、菅原さんのお爺さんが地元の高名な教育者で、尋常小学校の教師だったぼくの祖母もその方のことを話していたことがあったので、世間は狭いということがわかり楽しい時間を過ごしたのだった。

ベイシーはジャズ・ミュージシャンにとっても当然別格でワン・アンド・オンリーの存在。今年83歳になったナベサダが小さいクラブで演奏するのはまずないのだけれど、ベイシーでは定期的に演奏している。2004年のベイシーでのライブ録音盤ベイシーズ・アット・ナイトBASIE’S AT NIGHTはいいですね。ジャケットに菅原さんがナベサダと「出会った」(ジャズ・レコードには<リーダーの誰それミーツ共演者としての誰それ>の「出会った」情景の写真をジャケットにしているものがたくさんあって(マリガン・ミーツ・モンク、ファーマー・メット・グライスなんか有名どころだよね)みんな結構おもしろいのだけど、早稲田ハイソサエティ・オーケストラのドラムだった菅原さんは現時点ではクラブ・オーナーとしての立場であって、ナベサダの共演者ではない、しかし音響へのこだわりやジャズへの愛やいろんなものを含めた特別な存在のクラブ・オーナーと「共演する」、という気持ちが表されていて心温まるものがある。

アニタ・オデイのベイシーライブ盤(1978年7月2日録音)もおすすめです。半月くらい前の6月15日に吉祥寺のサムタイムで同じジョン・プールトリオのバックで演奏した録音があるけれど、ベイシーの録音はアニタもおしゃべり炸裂でノリノリ。菅原さんはアニタをベイシーでのライブの前に石巻に連れていき、熱烈なファンとの出会いとか、ライブ前の練習用のピアノを(本人にはわざわざそうしていることなど知らせず)急きょ仙台からそのファンの自宅へ搬送したり心づくしの対応をして、上機嫌でライブに臨めた結果のゴキゲンのプレイになっている。5曲目のキャンドルライト・アンド・ワインCandlelight & Wineなんかバーなんかでうまく歌える歌手ならとってもイイ感じで。アルフレッド・ハーンドAlfred Harned (1903-1994)という作曲家・アレンジャーでボードビルショーのツアーにも参加していたような人の曲。息子のボブもハワイやフィラデルフィアでミュージシャンをしていた人だけれど親父の楽曲権利の管理会社Pink And Blue Music Publishing Companyを引き継いで経営している。こういう人たちがいるのがアメリカの音楽産業の厚さ広さだよね。

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